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Today's topic No. 293
  2019/7/2
 
 [第8回宝塚ブルーグラス・フェスティバル・ライブ・アルバムのリリース40年記念!!]

 今年で第48回目を迎える夏の宝塚フェスティバル、1979年にリリースされた第8回宝塚ブルーグラス・フェスティバルのライブ盤リリースから早40年、今年も夏フェスの季節がやってきました。

今回はアルバムに収録されたバンドの40年ぶりのリユニオンも予定されています。




 




●RC-106 V.A.『The 8th Annual Takarazuka Bluegrass Festival』CD-R(本体\1,980-)\2,138-

Fastest Grass Alive(Goro Tani)/I've Gotta Be Me(Keep On The Grass)/Ooh Las Vegas(The Southbound)/Love Has No Pride(Akio Okusawa)/Don't Look At My Shadow(The Sumou Special)/Help(the Humpty Dumpty Hippoptamus)/Sudara Breakdown(Goro Tani)/Blue And Lonesome(Saburo Watanabe & AHO)/Lonesome Feeling(Otohto Mountain Boys)/Take Me Back To Tulsa(The Grass Store)/Could You Love Me One More Time(Masuo Sasabe & Kazuyoshi Ohnishi)/Shackes And Chains(The Bluegrass Nuts)/Go Home(
The Shaggy Mountain Boys)/Rollin In My Sweet Babys Arms(The Shaggy Mountain Boys) 

 1979年夏、もっともホットだった時代の宝塚ブルーグラス・フェスの記録。全国から集まった若者が、ゴローショーの「スーダラ・ブレイクダウン」に笑い転げ、タイムスリップした重鎮シャギー・マウンテン・ボーイズの登場に驚き、20代最後の年を迎えた笹部益生&大西一由や渡辺三郎&AHOに、当時の若者たち、奥沢明雄、ブルーグラス・ナッツ、弟マウンテン・ボーイズ、キープ・オン・グラス、グラス・ストアー、サウスバウンド、ハンプティ・ダンプティ・ヒポポトマス、相撲スペシャルら、学生たちのほとばしるようなブルーグラスがめちゃくちゃ爽快だ。

 あれから40年、今年も48年目の宝塚ブルーグラス・フェスの季節がやってきます。



(MS-3409ムーンシャイナー誌2017年7月号より)

「第8回宝塚ブルーグラスフェス」
ライブアルバム 1979年 ?ブルーグラスフェス興隆の背景
 文──秋元 慎

 もう直ぐ暑い夏、今年で46回を迎える「宝塚ブルーグラス・フェスティバル」の季節がやって来ます。ニール・V. ローゼンバーグ (著)、西垣内泰介、西垣内 寿枝訳『ブルーグラス―一つのアメリカ大衆音楽史』(2002、松柏社)の前書きで、ディラーズのミッチ・ジェインの引用として「ブルーグラスはファンでは無く信奉者を作る」と記してるように、この音楽は特異な発展の仕方をしているようです。

 ビル・モンローの発明したブルーグラスは多くのフォロワーたちの活躍でサウンドからスタイル、そしてジャンルにまで発展します。その後、フォークリバイバルでアール・スクラッグスによるバンジョー人気も手伝って、都会の若者を呼び込み、全世界に広がり、決してメインストリームに達するほど多くはないですが、熱烈な愛好家を生み出していくことになります。

■日米ブルーグラスフェスのはじまり
 レノ&スマイリーやマール・ハガードのマネージメントで知られるプロモーターのカールトン・ヘイニーは1965年、ブルーグラスが他の商業的なカントリー音楽とは違うファン層を形成しつつあることに気が付き、南部のカントリー音楽のパッケージショーでは色物扱いだったブルーグラスバンドだけを集めたマルチデイのブルーグラスフェスを開催しました。ブルーグラスフェスはアメリカ開拓時代からの宗教行事、信仰復興運動のひとつキャンプミーティングの伝統にも通じるファミリースタイルの野外イベントとして受け入れられました。

 当時、既にメジャーシーンで確固たる地位を築いていたフラット&スクラッグスは別として、ビル・モンローを中心にスタンレー・ブラザーズ、レノ&スマイリー、オズボーン・ブラザーズ、ジム&ジェシー、フォークリバイバルでモンローと共に最大のスターとなったドック・ワトソン等々と地元のローカルバンド、都会から巡礼にやってきたバンドが一堂に会するチャンスとして、全米に散らばっていた熱狂的なブルーグラス愛好家が集結して「ブルーグラス」というキーワード一点で共感できる解放区を作り上げました。

 のちには1969年のウッドストックで盛り上がりながらもオルタモントの不幸な事件で野外ロックフェスが禁止されたこともあって、1970年代にはヒッピーがブルーグラスフェスに流れてきて、ジョン・ハートフォードやニュー・グラス・リバイバルを中心としたニューグラスムーブメントで独特の文化を産み出しました。

 このようなアメリカのフェスを最初に経験したひとり、「アパラチアン」の岩本健さんたちによる1971年の軽井沢ブルーグラスフェスに続いて、同年ブルーグラス45でビル・モンローのビーンブロッサムやカールトン・ヘイニーのキャンプスプリングフェス(世界初のブルーグラスドキュメント映画『Bluegrass - Country Soul』が製作された)に出演したブルーグラス45の渡辺兄弟によっていよいよ1972年、日本でも本格的な野外ブルーグラスフェスとして「第一回宝塚ブルーグラス・フェスティバル」が開催されました。

 その後、回を重ねて現在、ビル・モンローのビーンブロッサム、ラルフ・スタンレーのマックルーアについでで世界で3番目に古いブルーグラス・フェスティバルとされています。

■「初めてのフェス……」
 70年代から80年代にかけて宝塚フェスをはじめとして、先駆となるブルーグラスフェスを経験した方たちが、それぞれ地元で自らフェスを主宰されて日本のブルーグラス・コミュニティを形成、現在に至っています。当時のインパクトが如何に強かったか……? ブルーグラスフェスとの出会いによって、その後の来し方に大きな影響を受けた方々も少なからず居られる事と思います。

 今では主催者側として運営に関わってる私も1977年、現在の会場である「三田アスレチック」に移って初めてとなる第六回目の宝塚フェスが初参加、当時のサークルの先輩方に騙されて、準備の手伝いをするので前日から来るようにと言われて、当時は単線だった福知山線と神姫バスを乗り継いで、終点のバス停からとぼとぼと歩いて会場に到着しましたが……人影はなく、夕暮れの中薄暗くなったところで、下見にやってきたサブさんに遭遇、同じく前日から到着していた連中を紹介してもらいました。

 それが現在、ブルーサイド・オブ・ロンサムの早川流吉、ロッキートップの店主を勤める田口信幸、ハード・トゥ・ファインドの小松崎操という面々でした。彼等もフェスをあまりに楽しみにし過ぎて、気が付いたら会場に到着していたとのことでした。

 全国各地のフェスで、そんな出会いをしてる方は沢山、居られる事と思います。

 林の中に特設されたステージで繰り広げられる演奏はどれも魅力的で、夜のコンサートは熱気に溢れ、夜通し繰り広げられるジャム、今ほど情報が氾濫している時代とは違って、みんながブルーグラスというキーワードに共感、時間と空間を共有する事に興奮していたように思います。

■ 1970 年代ブルーグラス
 その頃と言えば、高嶺の花だったマーティン・ギターも、学生がひと夏、おもいっきりアルバイトすれば買えるくらいの値段にまでなって、ケンタッキー、ゴールドスター、カスガ、トーカイ、ブルーベル等々、国産の良質のマンドリン、バンジョーも普通の楽器店でも入手可能でした。

 梅田ナカイ楽器のグランドビルのショーウィンドウの中にあった「ブルーベルF-12レフティ」に売約済みの札を貼って貰い、地元のスーパーでアルバイトで得たお金を持って、夏の終わり頃に入手したときの喜びは今も鮮明に覚えています。

 当時、力をつけてきたラウンダー、シュガーヒル、老舗のレベルやカウンティほか、インディーレーベルが活発に新作をリリース、国内の輸入盤専門店でも容易にブルーグラスのレコードが入手可能で、大阪梅田の「チャーリー・ブラウン」をはじめとして、毎晩のように何処かでブルーグラスのライブが行われ、海外からのアーティストも、僕が行っただけでもカントリー・ガゼット、マッドエイカーズ、バック・ホワイト&ダウンホームフォークス、ジム&ジェシー、ピーター・ローワン等々、枚挙に暇が無いほどのラッシュで、外に目を向けるとバックパックと楽器抱えて、『地球の歩き方』片手に本場のフェスを巡礼する若者も結構な数が居たと思われます。 

 こんな状況下、1979年に開かれた第8回夏の宝塚ブルーグラスフェスのライブ録音が行われて、B.O.M.サービスのレーベル、レッド・クレイ・レコードからリリースされました。

1979 Takarazuka Bluegrass Festival

●“Fastest Grass Alive / Sudara Breakdown” 宝塚フェスで絶大な人気を誇り、70年代から80年代のシーンを牽引したと言っても過言ではない谷ゴロー率いるゴロー・ショーのオープニング、オズボーンブラザーズの軽快な"Fastest GrassAlive"、後にプロの喋り手になる片鱗が充分に窺える谷五郎のMCで否が応でも盛り上がります。

 A面の締めは日本のブルーグラスのスタンダードともいえる"Sudara Breakdown"、正バンジョー弾きの酒井潤一がアメリカ行脚中だった前年にゴローショーに参加していた津田敏之がスーダラ節のメロディを巧みにスクラッグス・スタイルにアダプトした不朽の名フレーズを酒井潤一が自らのアイデアを加えてアレンジしています。

 余談ですが1982年にビーオーエム・サービスのブルーグラスツアーでレキシントンとビーンブロッサムのフェスに参加、当時、谷さんとロッコーマウンテン・ボーイズの三津谷さんほかとこの曲をビーンブロッサムのステージで演奏してめちゃくちゃ受けて、津波のような拍手をもらった経験がある。

 後日、三津谷さんが「何でワシのビーンブロッサムの唯一の思い出がスーダラ節やねん!」ってぼやいてたこと覚えています。

 津田、酒井両氏とも故人となりさびしい限りですが、この黄金のフレーズは現在の新生「ゴローショーR40」の小野田こうじによって引き継がれています。

●“Shackles and Chains”
 関西学院大学のアメリカ民謡同好会のメンバーを中心に現在も活動中、第一回目から45回の連続出演を続ける唯一のバンド、ブルーグラス・ナッツによる"Shackles and Chains"、ナカイ楽器のバンジョー教室で有田純弘の最初の先生としても知られる宮本有の計算されつくしたフレイジングは当時のマニアたちにフォローされています。

●“Ooh Las Vegas”
 甲南大学のルイビル・ランブラーズの流れを汲むサウスバウンドはメンバーにブルーグラス45の2代目のフィドラーで現在はウクレレ・プレイヤーとしても活躍する高田耕治(f)の軽妙なMCも加わり、グラム・パーソンズの名曲をブルーグラス・アレンジで聞かせます。

●“Could You Love Me One More Time”
 大西一由と笹部益生、東西の名ボーカリストの共演によるスタンレーブラザーズ名曲"Could YouLove me One More Time"では柴木健一(m)、アンドレ佐藤(d)に加えて、当時ティーンエイジャーの稲葉和裕(bj)が参加しています。

●“Go Home / Roll In My Sweet Baby's Arms”
 フラット&スクラッグスのフォギーマウンテンボーイズのサウンド一筋に一昨年、結成50周年を迎えて関東ツアーを敢行、現在もアクティブに活動するシャギーマウンテン・ボーイズはこの時に久々の復活で会場を大いに盛り上げました。

●“Blue And Lonesome”
 渡辺三郎(bj)率いるアコースティック・ヘビー・オーケストラ(AHO)は松本善雄(g)、祇園隆司(f)、大矢貞男(f)、谷村順造(m)、アンドレ佐藤(d)、久永雅史(bs)という当時、ずば抜けて優れたミュージシャンが顔を揃えたスーパーバンドで、後にルイビルで開かれたケンタッキー・フライド・チキン主催の当時最大のブルーグラスフェスに招待されています。

●“Love Has No Pride”
 現在はマーマレイド・スカイを率いて活動する奥沢明雄はアンドレ佐藤、谷村、祇園という同世代の関西メンバーとエリック・カッズの名曲"Love Has No Pride"を演じています。

●“I've Gotta Be Me”
●“Help”
 ちょっと小粋なスウィンギーなサウンドが如何にも関東風でまぶしかったキープ・オン・グラスや、この頃のプログラムでは女性バンド名の横にはハートマークが付いていたが、キュートなボーカルによるビートルズのブルーグラス・アレンジで野郎共の心を鷲掴みしたハンプティ・ダンプティ・ヒポポタマスには現在、タヒチ倶楽部で活躍、キープオンザグラスのベーシストと結婚した手島夏絵(旧姓関戸)の名前も見られます。

●“Don't Look At My Shadow / LonesomeFeeling / Take Me Back To Tulsa”
 そのほか、同志社の学生バンドでレコーディングに抜擢されたグラス・ストア、「どんとどんとと波乗り越えて」のMCも印象的な巨漢揃いだった日大サンズ・オブ・ホーボーズ相撲スペシャル、トニー・ライスの影響色濃い守屋憲二のリードギターがバリバリ聴ける弟マウンテンボーイズ等々、当時の学生バンドのエネルギーほとばしる、爽快なブルーグラスを演じています。

 こうして振り返ってみても38年も前のアルバムにもかかわらず、今も現役で活躍しているミュージシャンの多いことに驚かされます。

 この時代を経験されている方々は、この音源を通して、あのころの熱気を思い出してください。

 また初めて聞く方は、純粋にブルーグラスが好きという衝動だけで演じられている演奏に触れて、新しい発見があれば幸いです。

 そして、夏の宝塚フェスに是非、足を運んで下さい。

 今は主催者側の立場として、ニーズの多様化や高齢化が叫ばれる今日の状況ではありますが、宝塚ブルーグラスを経験した方々にとって、帰って来れる場所としてまた、ブルーグラッサーの共感広場として在り続けて居られればと切に願っています。



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